2017/5/31の誰かの暮らし

 

2017/5/31 水曜日 東京(晴れ)28℃-21℃

なんとなく、ひとの日記が読みたいな、と思って呼びかけたら、五人の方が送ってくださいました。ほんとうにありがとうございます。すべて読みました。掲載する形式は変わっていくかもしれませんが、今後もゆるゆる続けたいと考えているので、ぜひ。明らかな誤字の修正や表示都合による改行位置の修正は施してしまいましたが、原文はいじっていません。ぼくが昨日だらだらとバイトの研修をしていた時に、他の人はこんなふうに暮らしていたのかと思うと、妙な心持ちになります(決して悪い意味ではないです)。皆さんも昨日何をしていたのか少し思い出してから、読んでみてください。

 

 

 

 

#1

 昨晩酔って人んちに押しかけたんだけど、買ってもらってたデデデデを4ページ読んだところで寝落ちたみたい。

 6時過ぎに目が覚めたので、シャワーを浴びて自分ちに帰った。

 茄子の煮浸しと煮卵を梅ごはんにのせたお茶漬けを食べて、寝ちゃいけないと思ったんだけど、また寝ちゃった。

 ここ数週間夢見が悪くて、また嫌な夢を見た。誰かがうちの鍵をこじ開けようとしてるのを、必死に抑えてる夢だった。なぜか手だけ侵入してきてて、それをわたしは食いちぎる勢いで噛んでた。起きた時すごく歯を食いしばってた。

 3限には行けなかった。ゼミだけ行って、ぜんぜんわかんない歌舞伎の話を聞いた。近世文学って一口に言っても、自分が興味ある領域の話以外よくわかんないな。コメントを求められて、久米田康治の話をした。ノリで温泉に合宿することになった。

 6限後まで自動車学校申し込んだり合宿のパンフレット見たりして時間を潰してからギャルたちとごはん食べた。ギャルは、わたしの服に統一感がないのでいつもわたしを見て笑う。ある日はバンTで、ある日はロングスカートだったりするのがウケるらしい。

 親がわたしの内定先をこき下ろして、三重に帰ってこい、安定した企業にエントリーしろって言ってくるのでめちゃくちゃうんざりした。確かにわたしに合わなさそうな社風だなとかきつそうだなとか思うんだけど、それでも職が必要なんだから仕方なくない? しうかつ続けるのやだな。でも趣味程度に続けると思う。自動車学校と資格の勉強と並行して?キツそう。

 ツイッターしかできない。

 

*1

 

#2

2017年5月最終日。朝から最悪な気分だった。悪夢を見たし、朝ご飯を食べすぎてお腹は痛いし、その後二度寝して気分が悪いし、外に出ると通信制限でスマホすら相手をしてくれない。何より「6月解禁」の6月が明日から始まるのだ。最近は心底就職活動が嫌になっていた。その原因は特定出来ず「就活うつ」「五月病」「燃え尽き症候群」の3つを勝手に自分に当てはめ、心の中での言い訳にしていた。

家に居ると本当に気分が沈んでくるから「とりあえず外に出よう」と、すぽっと頭を入れるだけのワンピースに着替え、バスでDOUTORに行った。こう書いてみると、殆ど日を浴びていないし歩いていないな、と思う。アイスティーを飲みながらESを書き、2時間程経ったのを確認して、店を出た。近くに薬局があったので、目薬を買った。「高い目薬を頻繁に買わないといけないくらい目が疲れるのも就活のせいだ」なんて思いながら歩いていたら、無性に甘いものが食べたくなってきた。これだけ自由な1日なのに、ストレスが溜まっている。隣の小さな食品店に入り、最初に目についた饅頭を買って、1人でベンチに座って食べた。数分後には味を忘れていそうな味がした。

お金を使いすぎたので帰宅する決心をし、次のバスまでの時間をTwitterYahoo!ニュースを見ることに充てた。【桐谷美玲斎藤工&吉田綱太郎の男の色気溢れる「壁ドン」「頭ポンポン」にメロメロ】という見出しの記事に、何故か、一番惹かれた。「いいなあ、吉田綱太郎さんの壁ドン。ジュリアス・シーザーかっこよかったもんなぁ。」と思いながら、バスの時間も近づいてきたのでスマホから顔を上げ、立ち上がって、バス停に向かって歩き始めた。

その時、2メートル程先に、大きなカツオを持っている人の後ろ姿があった。そしてその隣には芸能人のぐっさんが居た。「地元でロケなんて珍しい。」と驚きながら、カツオを持つ人にもう一度視線を戻した。どこか見覚えがある。そしてシルエットが好きだ。ダンディなのに、可愛らしいオーラがある。半袖短パンなのに、靴がとてもお洒落な革製である。急に「吉田綱太郎」という名前が頭に浮かんだ。さっきニュースを読んだからだ。…いや、似ているからだ。髪型が、チラチラ見える横顔が、とてつもなく。急に身体が軽くなった。「顔が見える場所に移動しよう」と考えるのと同じスピードで正面に移動していた。金の丸渕眼鏡がはっきりと見え、高そうだと思った。そして目が合った。吉田綱太郎だった。

さっきまで2次元の世界にいた人間が今、立体となって、私と同じ3次元の世界を生きている。信じられなかった。目も口も、おそらく開いた状態で、その後もロケを見つめ続けた。10分もなかったと思うけれど、とにかく視線を送り続け、何度か目が合った(と思っている)。

バス停に行き、記憶を反芻していると自然と涙が溢れていた。大きな粒だったが、何が含まれているのかは分からない。少なくとも「幸せ」とか「驚き」とか「感動」ではなかった。でも「私はこれからも、何があっても、なんだかんだ頑張れるんだろうなぁ」と根拠もなく考えていたのは事実である。

今日のことは、きっと一生忘れない。けれど、その前後関係にある出来事や感情はすぐに消える。今寝たら、明日の朝には忘れている。だから、日記を書いた。

 

これからもきっと良いコトあるぞ自分。絶不調でも、やり切れない気持ちでいっぱいでも、取り敢えず、生きていこう。

 

*2

 

#3

今日は初対面の面接官から「君、友達少なそうだよね」と言われた。図星すぎた。初対面の人間から見抜かれるってどういうことなの。情けなさすぎる。ツイッターで自虐ネタにしたいけど、流石に痛々しすぎるしそんな気になれない。

 

面接の帰り道にコンビニでガリガリ君を買った。いつも思うんだけど、ガリガリ君のサイズってちょっと大きすぎるんだよね。最後まで食べきらないうちにベトベトに溶けちゃう。アイスを食べて気分転換するつもりだったけど、指にペタペタくっつくガリガリ君の液体のせいで気は晴れなかった。そんな冴えない一日だったな。

 

*3

 

#4

 13:18 コメダ珈琲にいる

今日は本当は仕事だったけど、薬の副作用が怠くなって早退してしまった。

職場の人には申し訳ないけれどこういう時、あぁ日頃頑張って良かったなと思うし無理しないでねと快く代わってくれる同期には感謝しなきゃいけないと思う。

 

向こうの原因で一度は別れそうになったけど、いやわたしも悪いところはあったはずと怒りと悲しみを押し込んで冷静に話をしてなんとか持ちこたえた矢先、また不安を襲うような出来事。

 

危ない交わりがあったわけでもない、避妊だってしていた、きっと大丈夫なんだけど、大丈夫じゃないのはわたしの気持ちで、不安が残ってアフターピル、高いけど処方してもらった。

 

わたしはもともと自由で、もっと自分の気持ちに従う生き方をしてたと思う。

まっすぐすぎる自分には時に嫌気がさすけど、振り返ってみるとそんな自分も好きでいられたのはきっと心に素直に生きていたからだと思う。

夢があって、やりたいことのために時間を埋め尽くす10代だったし、恋愛ももっと自由に開放的だった気がする。以前のわたしならこんな敏感になってなかったし。

 

大人になるってことは、責任が伴う。

その責任をひしひし感じながらやりたいことをやるっていうのは想像以上に大変で。

働いて、やりたいことを追って、人とは違う道を行く中で、

家族や恋人や友達や、いろんな人間関係もある中で、

とても繊細なタチだからか、割と敏感に人の気持ちにも気づいてしまうし。

 

気づけば恋愛をするとき、この人は共に生きていくに相応しいか?と考えてしまうようになっていて。自分のエゴを相手に押し付けているのかなとふと思う。

未来なんてわかんないけど目利きをするようになっている。

 

きっとわたしの人生の先にあなたはいないんだ、と悟ることがどれだけ悲しいか。あなたといるとわたしの中の女が疼く。

白か黒か、0か100かしかできない私は本当に生きることに不器用だなと思う。

 

色々と考えて、2人の価値観の真ん中を取ろうとしても、それが自分自身を傷つけることになるならいっそ自分だけの人生を考える時期なのかもしれないし時には手放してあげることも必要なのかもしれない。

だって20代前半の男の子に、女のタイムリミットを話してもピンとこないと思うし。

だから男の人と女の人の認識の違いって難しい。

 

でも、わたしはお金でもなく物でもなく、ただあなたの想いと言葉が欲しいだけ。

未来なんてまだわからなくても、そういうところが大好きで一緒にいるんだけどなぁ。

 

*4

 

#5

 

【以下、当日とった行動の記述は地の文で、その時、あるいは後から思ったことは括弧内に記していく。】

手書きのESを仕上げるため、深夜から朝にかけて起きていた。朝方長い記入欄を埋め終える。いつもESを締切ギリギリに出してしまう。この日仕上げたそれも例のごとく今日の午前中に出さなければ間に合わなかったので、そのまま起きて朝イチで郵便局へ向かった。

途中、喫煙所に寄る。9時過ぎのそこにはよれよれのスーツを着た、腹のでたおっさんたちが集まっていた。(絶対にこうならないと誓った)クロックスは履いていたけれど、僕は上下そこそこのなりをしていた。(僕の服装の美的センスは多分上の下くらいです。なぜなら僕の服装の美的センスは上の下くらいだから)

帰り、本屋へ。「週刊 SPA!」と「夫のちんぽがはいらない」を買った。(来週面接を受ける出版社の書籍だから)レジを見ると朝から暇な老人たちが列をなしていた。なかには馬鹿の一つ覚えみたいに貧乏ゆすりをしている者もいた。(早く死ねと思ったし、僕は馬鹿になるくらいなら早く死にたいと思ってる。もちろん、早く死んだほうがいいようなやつもいれば、死んではならないやつもいるということは、わかっているつもりだけれど……)

帰宅し、寝る。そして夕方起きた。夕飯にオムライスを食べる。買った本を読んだり、スマホをいじったり。(最近吉岡里帆が好きです。吉岡里帆はほんとうにいいですよ。なぜならほんとうにいいから)

家族が寝静まったあとに借りてきた映画を見て、そのあとたばこを買ってきて、家の前で吸う。3時くらいだったのか新聞配達の人が来た。(お疲れ様)

寝る。(翌日は面接解禁日らしかったけど、僕はなにもなかった。なにもなかったことそれ自体が本当はヤバかったのだと、すこし先の未来の僕は叱ってくれるか?)

 

*5

*1:一番最初に送られてきた日記なのですが、「こういうのを読みたかったんだよ」と思いました。『カルテット』で家森が「他人の夢の話なんか聞いても『そっか』しか言えない」と話していましたが、そういう何の役に立たないイメージが暮らしの中にはごろごろしています。そういうものを教えてもらったり、歌舞伎の話を聞いて久米田康治の話ができるセンスとかを、慈しむために読んでいます。

*2:「数分後には味を忘れていそうな味がした」という表現がめっちゃ良かったです。生活の中でびっくりするようなことって、あんまりないはずなのに、SNS上では毎日のように奇跡が起こっていて、そういうのを見ると疲れてしまいます。でも、ほんとにあるんですね、こういうこと。白昼夢の中で暮らすような生活が羨ましいかと言われれば嘘になりますが、たまにはいいかもしれません。就職活動、頑張ってくださいね。

*3:ツイッターで自虐ネタにしたいけど」という表現を見て、ウッとなりました。本当に現代は暮らしとSNSが繋がっていて、自分の感情や行動を文字にして、他人の視線に晒すことで自分を形成していく感じがしています。ていうか面接官、なんだかすごいですね。見抜いてしまえるものなんですね。ぼくは就活に際して、社会に出る用の人格を自分の中で作ってそれを演じようと考えていたのですが「友達が多い自分」や「意識が高い自分」の作り方が分からず、諦めました。就職活動、がんばってください。

*4:もしこれを匿名ではなく本名で掲載するとなったら、たぶんこの日記は書けないですよね。でも、多分本名で掲載すること自体が問題なんじゃなくて、これを書いたことが周りにバレることが問題。他人の視線に耐えられないじぶんの暮らしがあって、この日記みたいに、自分の外部じゃなくて内部に潜るようなものは、SNSとは違うところじゃないと本物じゃなくなっちゃう気がします。ぼくの視線すら要らないのかもしれないし、ブログに載せます、と言っている以上は、アレなんですけど。しっかり読みました。

*5:自分の外部(自分の内部)という語りの形式が、面白かったです。ほんとうに、誰かの暮らしを覗き見てる感じがしました。「僕の服装の美的センスは上の下くらいだから」とか、本当にそう思っているんですよね。この国には何にせよ謙遜するのが美学、みたいな風潮がある中で自分を「上の下」と言いきれるところに、加工のないリアルを感じました。夫のちんぽが入らないは個人的オススメなので、ぜひ。