2017/6/28の誰かの暮らし
2017/6/28 水曜日 東京(くもり)
用事があるので、コメント短いバージョンでおゆるしください。6月も終わりますね。おそろし。
#1
中学生に「彼氏いる?」って聞かれて「いるよー」って答えてしまった。いないのに。強がったわけではない。というのがもう強がりかもしれない。質問責めにされて、返答はすべて今のセフレのデータだった。
書いててすごい恥ずかしい。こんなとこでしか書けないよなー。
#2
1ヶ月ぶりにやっと生理が来た。いつもはほんと、ルナルナの奴隷みたいな子宮なのに。
思い当たり過ぎるくらい心当たりがあったから、この1ヶ月間ずっと妊娠検査薬を買っていた。2回も検査なんかしないし、って思って買った1個目の検査薬から2週間も来なかったし、これなら2個入りのを最初から買えばよかった。溜まった薬局のレシートをまとめて処分。
生理やっと来たよって連絡したら、よかったねだって。けど身体が不調って合図だろうから、ゆっくり休みなねだって。流石歳上の彼氏様。伊達に私みたいなガキよりうんと歳を重ねてらっしゃる。不安にさせた罰で、鉄板でじゅうじゅうするタイプのナポリタン奢ってもらう事にした。目玉焼きも付けさせてやろ!
関節がじくじく痛くて授業はまるまる切ったけど、人殺しにならなくて済んだのがそれ以上に嬉しくてちょっと泣いた。けどそれなら生殖活動すんなよ、私。
家の猫が可愛過ぎて君と結婚がしたい。セックスもしなくて済むし、なにより人殺しになんなくて済むし。ごろごろする喉を擦って、お昼ご飯のパンをちょっとあげて、心で婚約した。ライスシャワーの代わりに、モンプチをしこたま浴びる。夫婦初めての共同作業は、壁紙破り。
#3
お兄ちゃんがテレビに出てて、すごく変な感じ。
こんな顔してるって知らなかった。太って見えるし、声もなんか違う。喋り方は多分作ってる。
このことでお母さんをはじめ親戚中が大騒ぎしてて大喜びで、私もまあまあ誇らしい。
#4
六本木に行きたくなったら「六本木心中」、日曜日になってほしいときは「日曜日の朝」
今日はNYに行きたくなったので「Empire State of mind」
ニューヨーク ニューヨーク ニューヨーク〜
#5
今日はすごく好きな人と仕事をした。素敵な人と一緒にいると自分がちっぽけに思えて苦しくなる。その人に好かれたくて自分じゃない自分で振舞おうとする。ありのままの自分は、やる気のないぼーっとした人間なんだけど、その人の前だとやる気のあるフリをしようとする。でも素敵なその人はきっと何もかも気づいている、気がする。
#6
この日記、まじでみんなセックスしすぎですよね?
なんか人間って3食や入浴、排泄と並んでセックスが生活にあるんですかね。
まあそういう私も、寝たいし食べたいしセックスしたいしのタイプなので今日もしてきた。
ナマがいいといってゴムをしてくれない。ナマでしたいならピル代を払った上でヤれよって思いつつ、都合いい女でいたいが為にそれを許す。
いつか身体壊しそう。
#7
久しぶりに渋谷に行った。友達とカラオケをしに。ここ数週間、ほとんど人事としか会話をしていなかったので(それも本当にくだらない、話さなくてもわかるような内容の会話)、とても楽しかった。帰りにそのメンバーでラーメンを食べた。解散後、ひとりでたばこを吸った。カラオケで小沢健二を歌ったからか、たまたまiPodのプレイリストから「天気読み」(小沢健二)を選んでしまった。
雑踏、いろいろな服、少しの樹、電子の洪水。渋谷駅前の饗宴ともいえるさまを眺めていたら、「ほんの少し傷つけあうために 待っている恋人同士と 何言ったって裏返っていく彼や彼女」というフレーズにピンときた。まさにこの景色じゃないか。多くのカップルが、ここでたばこを吸っている。それもあまり楽しげではなく。
そういえばオザケンはそば屋とかで歌詞を書いていると聞いたことがある。隣の席の人がたまにいいこと言うかららしい。それを歌詞にしているのだそう。
「天気読み」にも
「僕のいっつも荒れすぎの唇離れた
新しいフレーズが君に届いたらいい」
「明かりをつけて眩しがるまばたきのような鮮やかなフレーズを誰か叫んでる」
という、暮らしのなかの言葉への愛があらわれている。
ところで言葉って不思議だと帰りの電車で思った。本質的に現実とは違うものなのに、嘘なのに、ただのインクとか音声なのに、信じることができるもの。
いま出版社を志望している僕は、これまで色々な本(のなかのいくつかの一節)に助けられてきた。将来、なるとしても作家じゃなくて編集者だから、自分の言葉を本にするわけではないけど、なにかしらの恩返しがしたい。眩しくスパークするような、それでいて何度でも感動してしまう鮮やかな一行が、朝まだき暗がりで震える人のもとに届いたらいい。そして、その一行に救われたその人の小さな唇を離れた感想なり感動の言葉が、さらに、明日を待てぬ多くの不安な人たちの耳に入ればいい。生きることを諦めてしまわぬために、賑やかな将来のために、なにかしらの恩返しがしたい。